神楽坂宗司×宗像廉

おまじないの記憶

n番煎じですが体調不良ネタ。
体調崩しちゃった廉くんと看病する宗司くんのお話。
過去捏造しています、ご注意ください。

 ――廉は幼い頃、まだ宗司といつも一緒に過ごしていた頃、風邪を引いたことがあった。風邪なんてそんなに珍しいことではないし、人並みにはあったのだが、よく覚えている日のことがある。

 その日は運悪く、家族皆にそれぞれ予定があって出掛けねばならず、廉は一人、家で寝ていた。さすがに体調を崩している小さい子供一人を残すのは心配だったらしい両親が、近所の人に時々様子を見に来てもらうように頼んでいた様で、数時間毎に来てくれはしたものの。それでも一人で過ごす時間は長く心細かった。

 そんな時、何の前触れもなく部屋に入ってきたのは宗司で、どうして、だとか、移してしまう、だとか言いたいこともあったのだけれど、一番に感じた感情は安堵だった――。


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 どうして今こんな古い記憶を思い出したのだろう。ぼうっとする頭ではその理由なんて見当もつかない。おまけに頭は重いし、視界は揺れる。気のせいだろうか、呼吸も少し荒い気がするし、吐く息は何処か熱い。なんだか足取りまで覚束なくなってしまって、周りの音も遠のいていく。


「――廉!?」


 何か変だ、そう思った時はもう遅かったらしい。自分の名前を呼ぶ宗司の焦った声が聞こえたのを最後に、視界が暗くなった。


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「ん……」


 次に視界に光が入った時、最初に確認したのは見慣れた自室の天井。そしてやはり身体の気怠さと頭に感じる鈍痛。


「廉!」


 そこへガチャリと開けられた寝室の扉。姿を現したのは宗司で、廉の姿を確認したと同時に声を掛けられた。先程もそうだったが、こんなに焦った声なんて彼にしては珍しい。


「大丈夫か? お前倒れたんだぞ」

「え……」


 いまいち状況を飲み込めないながらも、とりあえず体を起こそうとすれば、宗司が支えてくれた。飲めるか、と手に持って来ていたスポーツドリンク入りのペットボトルを渡される。


「朝から少し調子が悪そうだと思ってはいたんだ。でも今日は午前の撮影だけだったし、そのくらいなら大丈夫かと思ったんだが……判断を誤ったな、悪い」

「別に宗兄が謝る事じゃない……」


 渡されたそれをコクリコクリとゆっくり飲んで、謝る宗司に言葉を返した。

 なるほど、体調を崩して倒れたらしい。自分でも気づいていなかったというのにこの幼馴染には本当に恐れ入る。

 ――ああ、だから今日はいつも以上に気に掛けられていたのか。


「俺、何処で倒れたの?」

「寮に戻ってすぐだ。自分でも気づかないうちに気を張ってたんじゃないか? 帰って来て緩んだんだろ」

「そっか……良かった、現場とかじゃなくて」


 ほっと息を吐くと、何処か呆れた様子の宗司に頭を撫でられた。何かおかしなことを言っただろうかとそちらに首を傾げて見せると、一つ小さな溜息を吐いてから、頑張ったな、と笑みを向けられる。


「とりあえず薬飲んでおいた方がいいな……、とその前に何か腹に入れておいた方がいいか。ゼリーとかだったら食べられそうか?」

「うん、それだったら多分平気」

「了解。取ってくるから熱測ってろ」


 そうして手渡された体温計を腋に挟み、それを確認した宗司は寝室を出て行った。

 寝室に一人残されて、そういえばさっき、と古い記憶を思い返す。体調が悪かったから無意識にあの日のことを思い出したんだなと今になって思い当たった。そういえばあの時急に訪ねて来た宗司も、スポーツドリンクだとかゼリーだとかを持って来たことを思い出し、懐かしくなって思わず笑みが零れる。


「病人なのに何笑ってんだよ」


 再び開かれた扉から現れたのはゼリーやら薬を手に持った宗司で、言葉のわりに表情は柔らかい。ちょうど体温計が測定完了を知らせる電子音を鳴らしたので、腋から抜き取った。


「その様子ならちゃんと食べられるな」


 そう言って渡されたチューブタイプのゼリーを受け取り、代わりに体温計を差し出す。渡されたそれは小さい頃よく食べていた廉の好物のゼリーで、相変わらずよく覚えているなぁ、と感心しながら口に含んだ。そういえば、ゼリー自体食べるのは久しぶりな気がする。


「37.8……か。それ食べて薬飲んだらまた寝てろよ」

「はぁい」


 言われた通り、ゼリーを食べた後は薬を飲んでまたベッドに横になる。あとは、と宗司が手に持ったのは熱冷ましのシートで、ぺたりと廉の額に貼り付けた。


「わ……、気持ちいいー……」

「で、あとはおまじない、っと」

「おまじない?」


 何のことだろう、と疑問の意味を込めて言葉をオウム返しすると、答えとばかりに額に落とされたキス。


「な、え……」

「なんだ、違ったか?」


 からかうわけでもなく、純粋に訊いてくる宗司に廉は何のことだったかと考えを巡らせる。そうして思い当たったのはやはり幼い頃の記憶で。

 昔はよく熱が出ると母親に"熱が下がるおまじない"として額にキスをしてもらっていた。だからあの日、宗司に同じようにして欲しいと強請ったのだ。本当によくもまあ覚えている。


「あ、んな昔のこと……」

「懐かしいだろ? でもまぁ……風邪は人に移すと治る、って言うしこっちにしておくか?」


 唇に指を当てて訊いてきた宗司の提案を廉は即刻却下して、宗司に背を向ける。


「し、しません! もう寝る! おやすみ!」

「ははっ、おやすみ、廉」


 宗司は持ってきた残りのゼリーや薬等を持って片づけの為か、寝室を出て行った。扉が閉まる音を確認してそっと仰向けの体勢に直り、ほっと息を吐く。額に手を当てると面映い気持ちもありつつ、やはり覚えていてくれたことは嬉しくて思わず笑みが零れる。そうしてぼんやり天井を眺めていると、やはり体力は削られているらしく、気が付けばいつの間にか眠りに就いていた。


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 次に目を覚ましたのは息苦しさからだった。目を覚ましたと言っても、本当にそうなのかどうか判断がつかないくらいに、視界も意識もぼんやりしている。吐いても吸っても上手く呼吸が出来ている気がしない。


「廉、大丈夫か。……熱が上がってきたか」


 どこか遠くに聞こえる宗司の声。それも現実のものか、幻聴か、定かではない。

 不意に頬に何かが触れた。冷たくて気持ち良く、無意識に擦り寄る。それは自分がよく知っているもので。いつもは暖かいのに、今はやけに冷たく感じる。


「汗もすごいな。何か拭くもの……、廉ちょっと待ってろ」


 自分の頬をひと撫でして離れてしまったそれ。


 ――行ってしまう。


 嫌だと素直に反応した手は宗司の服の裾を掴んだ。「廉?」と自分に掛かる声の方へゆるりと首を回して、懸命に唇を動かす。


 ―― " 行 か な い で " 。


 多分、音になっていない。それはなんとなく分かったけれど、今の状態ではどうしようもなくてそれがもどかしい。消耗されていく体力によって徐々にまた意識は沈んでいき、また眠りに入ってしまった。


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 ――夢を見た。夢、という名の古い記憶。

 あの時も今みたいに眠りに就いてから熱が上がって、息苦しさに途中で目が覚めて。いくら宗司が年上のお兄さんと言っても当時は宗司だって幼く、どう対処すればいいのか分からなかったのだろう。誰か呼んで来るために部屋を出て行こうとしたのを、今と同じように服の裾を掴んで、行かないでと引き止めた。今と違うのは泣いていたことくらいだろうか。こんなところでも当時は泣き虫を発揮していたんだな、と今になって思う。

 泣く行為は幼い廉の体力を更に奪って、早々にまた眠りに就かせた――。


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 三度目の目覚めはもう夜に入った頃だった。最初に耳に入ってきたのは音を確かめるような小さな鼻唄。小さくてもそれが誰のものなのかはすぐに分かる、大好きな人の声。


「……それ、今度のライブの?」

「……! ああ、廉起きたのか」

「うん」


 宗司はベッドの縁に腰掛け、片手に楽譜を持っていた。その足元にも数枚楽譜が散らばっていて、おそらく次のライブで演奏する楽曲たちのものだろう。

 不意に自分の片手に体温を感じて確認すれば、自分より少し大きな手が自分のものを包むように重ねられていた。


「ずっと握っててくれたの?」


 廉の視線の先を追って、何のことかすぐに理解した宗司は微笑む。


「ま、あんな風に引き止められたら、な」

「ご、めん……」

「何で謝るんだよ」


 苦笑を零しながら言われた言葉に、今度は「ありがとう」を返すと、宗司は満足気に微笑んだ。


「それ……」

「ああ、元々今日は一日ここに居ようと思ってたからな。最初から持って来ておいたんだ」


 自分の手を包んでいた温もりが離れて、散らばった楽譜をまとめる。そうしてから、顔を覗きこまれて、今度は頬が温もりに包まれた。


「……だいぶ熱は下がったか」


 宗司は安堵の表情を見せてから、汗で張り付いた廉の前髪を横に避ける。


「汗びっしょりだな。体拭いて着替えた方がいいだろ。廉、準備するからシャツのボタン外しておけよ。……と、体起こせるか?」

「うん、大丈夫」


 薬が効いたのか、寝る前よりもだいぶん体が軽くなったが、宗司の言う通り、結構汗もかいたようでシャツが張り付くのが気持ち悪い。シャツのボタンをゆっくり一つずつ外し、全部外し終わった頃、寝室を出て行っていた宗司が着替えとタオルを持って戻ってきた。


「ん、よくできました」

「もう子ども扱いしないでよ」

「言い返せる元気が戻ったなら何よりだ。ほら、体拭くから脱げよ」

「え!? 宗兄がやるの!?」


 予想外の発言に顔を赤く染めて驚くと、宗司の方は呆れた顔をして言葉を返してきた。


「そりゃあまだ体動かすのは辛いだろ」

「そのくらい自分で出来るよ!」

「まさかお前、今更恥ずかしいとかじゃないよな?」

「は、恥ずかしいに決まってるでしょ!?」

「お前なぁ……、男同士で、ましてや俺とお前の仲だぞ? それこそいつももっと…」

「わ、分かった! 分かったから! 脱ぐ! 脱ぎます!」


 これ以上言い合っていても最終的に流されるのは普段の経験上分かっているし、この先何を言い出すか分かったものじゃない。そう考えて渋々承諾し、そろそろとゆっくりシャツを脱いでいく。

 不意に、宗司が深く息を吐いた。


「……廉、いっそガバッと脱いだ方が恥ずかしくないんじゃないか?」

「そ、そんなことできるわけないでしょ!」

「なんつーか、誘ってるように見えるぞ」

「さそ……っ、な、何言ってるのもう!」


 廉は脱ぎ終わったシャツを宗司の方へ言葉と共に投げる。それを受け取った宗司がもう一度落ち着かせるように息を吐いたのを音で読み取った。その表情は投げたシャツに隠れてよく見えない。


「……こんなことでも言ってねぇと変な気起こしそうだからな」

「え?」

「何でもねぇよ、ほら腕出せー。あと廉、また熱上がるからあんま興奮すんなよ」


 正確に意図を読み取れなかった言葉の真意ははぐらかされて、注意をすり替えるように事が進行されていく。

 誰のせいで、とぶつぶつ文句を言いつつも、廉は宗司の方へ片腕を差し出し、その腕を取って宗司が丁寧に優しく体を拭き始めた。


「……宗兄、さっきの歌って」

「は? なんだいきなり」


 どうも沈黙が気恥ずかしく、宗司に強請る。それに、先程は廉が目を覚ましてからすぐに止めてしまったため、少し残念に思っていたのだ。


「……まぁ、気が紛れていいか」

「え、何が?」

「何でもない」


 少しして宗司の口から旋律が奏でられ始める。普段は落ち着いた低めの声をしているのに、歌声となると綺麗な高音まで出せるのだから不思議だ。しばらく宗司の歌声に聴き入って不意に止んだと思えば、「おしまい」と着替えを渡された。いつの間にか拭き終っていたらしい。


「……ありがとう」


 受け取った着替えのTシャツを着ると、額に宗司の手が伸びる。


「?」

「もう交換したほうがいいだろ?」


 そっと剥がされた熱冷ましのシートはゴミ箱へ入れられて、代わりの新しいシートがもう一度額に貼られた。


「…………」

「どうした?」


 寝る前にもらったアレがない。もう小さな子供ではないのだし、今日宗司にされるまで、当然だがここ数年母親にもやってもらってなかったのだ、別にいいじゃないか、と思う自分もいるのだけど。熱のせいにして少し甘えてみても、少し素直になってみても、いいのではないかと思う自分もいて。

 最終的には後者の方が勝った。


「……お、まじない」


 窺うように宗司の顔を見れば、少し驚いた顔をして、でもすぐに優しく微笑んで。そっと額にキスを落とされた。


「やっぱりこっちにもしておいた方がいいんじゃないか?」

「だ、だから、移っちゃうからダメだってば」

「廉があんまりかわいくおねだりするからサービスしたくなった」

「そ、そのサービスは風邪が治ってから……!」


 尚も唇へのキスをしようとする宗司の口を手で覆って断固拒否をする。しかし、宗司は諦めてはくれないようで、いつの間にか後頭部に回っていた手を離してくれない。


「もう……! 治ったら好きなだけしていいから……!」


 ほとんど勢いで口から出た、と言っていい。今、自分は何と口走っただろうか。


「約束、だな? 廉」

「え、ちょっと待って! 今の無し!」

「却下」


 廉の抗議も抵抗も受け流して、宗司は宥めるように顔中にキスを降らせる。最終的に、どうせ言っても言わなくても結果的には同じ目に遭うのだ、と無理矢理自分を納得させて言葉を仕舞った。


「はぁ……もういい」

「心配しなくても治ったら元々そのつもりだ」


 やはりそうだ。

 ムッと唇を尖らせてみるが、悪びれた様子はなく鼻先にまたキスを落とされた。なんだかもう呆れも通り越して可笑しくなってしまう。


「もう」


 苦笑を零しつつ最後の一文句をつけたところで、部屋のインターホンが鳴った。


「俺が行くからお前はじっとしてろ」


 反射的に動こうとしたのを宗司に手で制されて止められる。大人しく彼が出て行った扉の方へ視線を向けて待った。すると、何やら話し声が聞こえてきて、それがだんだん近づいてくる。この声は――。


「モリ先輩」

「調子はどうかな、廉」

「もうだいぶん回復しました。ご心配お掛けしてすみません」


 再び開いた扉から現れたのは、同ユニットのメンバーである守人だった。


「お粥を作ってもらったから持ってきたんだけど、せっかくだから顔を見て行こうかなと思ってね」

「ありがとうございます」

「あと、誰かさんが良からぬことをしてないかと思って」

「何だよ、良からぬことって」


 小さめの土鍋が乗ったお盆を持って後から入って来た宗司は、すかさず口を挟みベッドサイドにある小さなテーブルにそれを置く。


「ふふ、冗談だよ」

「目が笑ってねぇんだよ」


 守人はいつもの温和な笑顔(廉にはそう見える)で、宗司をからかった。

 "良からぬこと"の意味するところについては、廉にもなんとなく察することは出来たが、それには気づかぬフリをし、曖昧に笑って誤魔化した。


「ソウは夕飯どうするの? もう出来てるから皆食べるところだけど」


 ところで、と言わんばかりにサラリと話題を変えて尋ねる守人に、さすがだな、と感心しつつ、ああもうそんな時間か、と部屋の時計から時間を確認する。


「あー……俺は後で食うわ。取っておいてくれ」

「そっか。分かった」

「え、食べて来ていいよ?」


 淡々と目の前で進む会話に思わず待ったを掛けた。今日は一日中自分の面倒を見てくれたのだ。おかげで随分体調も回復したし、これ以上はさすがに申し訳ない。


「病人が余計な気回さなくていいんだよ」

「そうだよ、廉。それに、さっきソウってばやけに嬉しそうな顔してたんだから、むしろ甘えてあげた方が喜ぶよ」

「え」

「モーリー?」


 さっき、というのは。

 廉がその問いを投げ掛ける前に宗司が牽制し、守人が肩を竦める。


「ごめんごめん。じゃあ、あんまりお邪魔しても悪いからそろそろ戻るね」

「あ、お粥、ありがとうございました」

「どういたしまして。お大事にね」


 結局先程の疑問は解決出来ないままに、守人は部屋を出て行った。


「……ったく、モリのやつ」

「宗兄、やっぱりご飯食べて来なよ。俺もう一人でも大丈夫だし」

「そうだな。お前がちゃんとこれ食ってまたちゃんと薬飲んで寝たら、な」

「分かってるよ! もう子供じゃないんだしちゃんとするから」


 と言ったところで軽く宗司に頭を小突かれる。痛くはないのだが、反射的に手はそこを押さえた。


「さっきモリも言ってただろ? こういう時くらいは素直に甘えてくれた方が俺としては嬉しいんだよ」


 ということは。

 先程自分が"おまじない"を強請ったことが宗司も嬉しかったのだろうか。守人の前で顔に出してしまう程に。

 思わずジッと宗司を見つめてしまうと、気恥ずかしそうに、「ほら、飯だ、飯」と準備を始めた。そこでハッとして話の続きをする。


「でももうだいぶん良くなったし、大丈夫だから……」

「それでも今日一日くらいはな。それにこれが逆だった時を想像してみろ。お前のことだから頑としてここに残るだろ」

「う……」


 そう言われてしまえば返す言葉はない。これが逆だったら確実に宗司につきっきりな自分が容易に想像できる。


「ほら分かったらさっさと食え。食欲は?」

「うん、少しお腹空いて何か食べたいくらい」

「そりゃ良かった」


 宗司は土鍋の蓋を開けて軽く中をかき混ぜた。おいしそうな匂いが空腹の胃を刺激する。一緒にお盆に乗っていたお椀に少量の粥を移してからそれを持った宗司がベッドに腰掛けた。更にその中から一口分蓮華で掬い取り、少し冷ましてからそれを廉の口元へ運ぶ。

 ここまでの一連の動作を何気なく見ていた廉だったが、宗司の意図することがここでようやく分かった。


「宗兄、自分で食べれるから」

「そう言うな。最後まで面倒見させろよ」


 そんな困ったような笑みで、そういう言い方をするのはずるい。他に何も言えなくなってしまう。

 廉はおずおずと口を開けて、差し出されたそれを招き入れた。


「……おいしい」

「そうか」


 ゆっくり咀嚼して飲み込む。口内に広がる優しい味と空腹の胃をじんわり暖かく満たす感覚に自然と口元が綻んだ。もう一口、と思った時には次の一口が既に口元に用意されていて、今度は躊躇なく口に含む。三口目、というところで口を閉ざしたままの廉に、宗司が不思議そうに呼び掛けた。


「廉? もう食べれないか?」

「ううん。前にもこうやって食べさせてもらったなぁ、と思って」


 懐かしんで言葉を零せば、宗司はすぐに心当たりを見つけて話に乗ってくる。と同時に、口角を上げて意地の悪い笑みを見せた。


「ああ、そういえばそうだったな。あの時は廉の方から食べさせて、って強請ってきてかわいかったのにな」

「あの時はまだ小さかったから!……でも宗兄はあの頃から落ち着いてて頼りになって、かっこよかったよね」

「あー……」


 何故か歯切れ悪く音を出した宗司に廉が疑問符を浮かべたところで、宗司と廉の両方のスマートフォンからの振動音に二人の意識が行く。宗司が自分のものを確認すると不機嫌そうに眉を顰めた。


「あいつら……」

「どうしたの?」

「……今隠しても後でバレるしな。廉、空たちが体調はどうかって」


 そう言いながら宗司が見せてきた画面は、SOARAのトークグループのもので、空や望からの体調を気遣うメッセージが表示されていて。順に読んでいくと、宗司が不機嫌になった理由がすぐに分かった。

 しかし、それは廉には少し信じられない内容で。


「宗兄、俺が倒れた時すごい焦ってたって……」

「…ったく、あいつら余計なことを。そりゃあ誰だって目の前で倒れられたらそうなるだろ」

「あんな焦ってるの初めて見た、って……」

「……倒れたのがお前なんだぞ。俺だってあそこまで焦ったのは久しぶりだ」


 宗司は気まずそうに目線を逸らす。心なしか頬がほんのり赤い。


「お前のことになると余裕ねぇんだよ。あの時だってそうだ」

「あの時?」

「お前は落ち着いてたとは言うが、本当はあの日、お前が途中で息苦しそうにし出してからかなりテンパってたんだぞ。どうしたらいいか分からねぇし、とりあえず人呼んでこねぇとって思ったのに引き止められて置いて行けねぇしで、すげー焦った」

「なんか……えっと、ごめん」

「お前が謝る事じゃねぇよ。結果、手握ってやれば、呼吸は変わらず辛そうだったのに、ほっとした顔して寝たんだからな」


 そう言いながら思い出を懐かしむように宗司は微笑んだ。何だか気恥ずかしくなってしまい、廉は次の言葉を探す。


「で、でも、今日はそんなことなかったよね」

「さすがに経験済みだったしな。同じように手握ってやれば安心した顔してまた眠っちまったし」

「そ、そうだったんだ……あんまり覚えてない……」

「相当辛そうだったし、まあそうだろうな。と、廉。そろそろお喋りはこの辺にして残り食っちまわねぇと冷めるぞ」

「あ、うん!」


 再度差し出された蓮華にパクリとかぶりつく。それを数度繰り返し、土鍋の中身を空にした。


「廉、ラスト」

「ん……、はぁ、ごちそうさまでした」

「よし、よく食べれたな。ちょっと薬取ってくるから待ってろ」


 ついでに下げてくる、と空になった土鍋やお椀を持って宗司が部屋を出て行くのを見送り、廉は傍に置いてあったスマートフォンを手に取ると、SOARAのトークグループ画面を開いた。先程の空たちからのメッセージに返信を打っていく。


『おかげさまでだいぶん体調回復しました』

『それは良かった! ソウがずっと付いてたみたいだからそこは安心してたんだけどね!』

『そうそう! 廉の看病は俺がやる、って有無をい』


 不自然なところで途切れたまま送られてきた望からのメッセージに首を傾げて少し待つと、また望からのメッセージが送られてきた。


『とにかく元気になって良かったよ! お大事にね!』


 何を送りかけたのか気にはなったが、それはまた後日きいてみればいいかと、とりあえずお礼の一言を返しておく。


『ありがとう』


 そうしているうちに宗司が薬と水を手に、戻ってきた。


「宗兄、望たちとさっき会った?」

「ああ、鍋とか預けてきたからな。つーか、望のやつ変なこと送ってないだろうな? 俺を見るなり慌ててスマホ隠しやがったが」


 なるほど、それで変なメッセージの切り方のまま送ってしまったのか。

 合点がいって思わずクスクスと笑みを零す。宗司に訝しげな目線を送られたが、それは「なんでもない」の一言ではぐらかした。やはり先程の内容は後日望の口から聞いてみるとしよう。


「ほら廉、薬。笑ってないでさっさと飲め」

「ありがとう」


 宗司から薬と水を受け取って飲み込む。それを見届けた宗司は「さっさと寝ちまえ」と頭を撫でて廉を横にした。横になっても先程まで寝ていたのだ、薬がまた効き始めるまでは眠気は来ないだろう。チラリと宗司の方に目線をやると、ベッドの端に腰掛けて再び楽譜を手にしていた。

 ――広く頼もしい背中。あの頃よりもずっと上の方に目線を上げなければ入らなくなった頭――と顔。


「どうした?」


 不意に振り返ってこちらを向いた宗司の手が廉の頭に伸びる。


「眠れなくて」

「ま、さっきまで寝てたんだしな。薬が効いてくれば眠くなるだろ」


 先程自分が考えていたことを宗司も口にしながら伸ばしてきた手はそのまま頭を撫でてくる。髪を優しく梳く手が気持ちいい。


「宗兄、よく俺の頭撫でるよね」

「そうか?」


 言葉は疑問形なのに、その表情と声音からは疑問のギの字も感じない。


「そうだよ」

「嫌なのか?」


 答えなんて分かりきっているくせに。やはり疑問になっているのは言葉だけ。


「……嫌じゃない」


 嫌じゃないどころか、むしろ嬉しい。

 それが声色には出てしまったのだろう。宗司は満足そうに笑った。


「そういえば、さ」

「ん?」


 ……それからしばらく二人で他愛のない会話を広げた。懐かしい思い出、大学でのこと、仕事のこと、メンバーの話。話題は様々だったが、昔の話が比較的に多かったように思う。昔話に花を咲かせたのは、再会以来、実は初めてだったのではないか。日頃から時折ぽろりと零れ落ちる昔の話は、こうしてかき集めてみると結構な量で、自分と宗司だけの思い出がこれだけあるのかと思うと少し嬉しかった。


「――廉?」

「…………」

「……おやすみ」


 正直、話の後半はあまり覚えていない。ただ、心地いい気持ちで微睡んで、そのまま眠りに落ちた。

 気持ちのいい次の目覚めを予感して。


Fin.